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amica ニューヨークで、日本語のオリジナル曲を歌う |
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磐田市出身のシンガー・ソングライター アミーカ さん |
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歌に気持ちが表れるように、生の英語を学びに渡米■11年前のことですが、アメリカへ行こうとした動機は音楽ですね、やっぱり。言葉に対するこだわりといってもいいかもしれない。日本を発つまで音楽をやっていて、その頃、シンガー・ソングライターというより、ヴォーカリストとして歌を歌う仕事のほうが多かったですが、要求される歌がほとんど英語なんです。英語の発音はすごく指摘されますから、ヴォイストレーナーについて英詞の和訳と発音の指導は受けていましたが、歌に気持ちが入っていないっていうのを感じるんですね。例えば、LOVEっていうせりふが出てきた時に、LOVEって言っているだけで、それを感じていない。歌を感じることができていないという大きな壁にぶち当たっていたんですね。英語の歌を歌って一番大切なのは、その歌詞を自分もかみしめていって初めて表現されるもので、聴いた人もそれをキャッチする。聴く人と一体になる。そのために生の英会話を学ぼうと、渡米を決意したんです。どこに行こうかっていろんな人に聞いたら、当時、ヴォイストレーナーの仕事もしていたから、生徒さんに海外での滞在経験のある人もいて、「絶対ニューヨークだよ」っていわれたんですね。それで、ニューヨークに決めて、内緒で一年間貯金を始めたんです。 いろんな人と出会い、音楽活動を始める■ニューヨークに行ったら、何かがあったんですね。もう離れられなくて。すごくラッキーだったんですね。運命だといえば、運命なんだけど。 演奏をしなくなった時期に、歌を歌った瞬間に涙がでた■その後、音楽を続けることに苦しみを感じるようになって、何度も「音楽活動をやめたら、もっと私は楽に生きられる」って考えて、しばらく演奏をしなくなったんです。自分がどんどんノイローゼみたいに変になっていくのを感じた。「なんでこんなにイライラ、悲しくなるんだろう」って、一人でヘッドフォンして、エレピ弾いて、マイク通して歌って、っていうそれだけを毎日続けるんですね、演奏しないで。そうすると、一瞬にして涙が出るんですよ。ニューヨーク生活が長くて、どんどん強くなっていく自分が分かっていて、普通の生活でこれほど涙が出ない人間が、自分が歌を歌った瞬間に涙が出るっていうことは、もしかしたら、やっぱりここに自分の全てがある、感動できるって感じたんですね。これをやめてはいけないって思いはじめたんですね。 テロ事件をきっかけに、自分の中の何かが変わった■そんなときにテロ事件(2001年9月11日)があって、ショックというか、悔しかったんですね。ニューヨークがさびれちゃうみたいな、そんな姿を見たとき、「立ち上がれー」ていう感じで書いた、「Sun will Rise」という曲を歌い出したら、いろんな人から「これはいい曲だ、力をもらった」って言ってくれて、自分が思った以上の反響があったんですね。それからの自分には、空想が書けないんですね。自分が何かをキャッチしてハートがキュッとしたものをリアルに、素直に曲にして表すようになったんです。 拉致事件を知って、何かできないかと考えて作った曲 『春 待ちわびて』■私が最初に北朝鮮による拉致事件を知ったのは、2002年10月のあの5人が帰ってくるのを知った時からです。ものすごく衝撃を感じたので、毎日TVを釘付けになって見ていたんですね。こんな事件があったんだ。それまで何にも知らなかったんで、日本のニュースを毎日見ていました。それで「何かできないかな?」って本当に思ったんですね。ずっと考えていたけど思いつかなくて、自分は音楽書く人間だから、そのまま音楽作ってみようと作り出したのが2003年に出来上がって、それが「春 待ちわびて」なんです。後半の部分にハングルでポエムを詠んでるんですけど、サビの部分を韓国人の友人にお願いして、彼らの表現にして書いていただいているんです。すごく思い入れのある曲ですが、はじめはただ、ライブ等で演奏していただけでした。 日本語の美しさに気づき、自分の中での「日本語プロジェクト」■今言ったように、このCDの中の曲は全部日本語なんですが、それをアメリカ人のスタッフ、ミュージシャンと制作したんですが、歌詞を英語に訳していないんです。アメリカでもオリジナルの日本語で歌っていたんですが、そのときも英語に訳せっていう話はあったんですが、訳さなかった。ストーリーは大まかに説明するんですが、細かに説明する必要はない。なぜなら、それを知らなくても、私が歌っているときの表情でこの曲を感じ取ってほしいって言ったんです。 「拉致救済コンサート」は、初めは数人の小さな集会が大きな渦になった■今回、4月22日にワシントンDC「拉致救出支援コンサート」をやるんですが、その取っ掛かりは、去年の7月、私が磐田に帰っていたときにたまたまTVでちらっと見たニュースなんです。横田めぐみさん拉致事件の映画を、アメリカ人が作っているというニュースが流れたんです。パティとクリスというアメリカ人が、アメリカで拉致事件を取りあつかった映画を作っているっていうんでびっくりしたんですね。何もしっかりした情報はなかったのですけど、インターネットですぐに検索して調べたら、一発で見つかったんですね。パティとクリスのWEBサイトがあり、Emailでコンタクトしたら、返事が来たんです。私が日本人のアーティストで拉致事件に関心を寄せていると伝えたら共感していただき、私の曲にも興味を持っていただいたんです。それから、当初この映画の上映会を計画していた「ワシントンDCらち連絡会」を紹介いただいたんです。そして、この映画「アブダクション(拉致)」の上映会のパーティーで、音楽を担当することになったんです。しかし、この映画がインデペンデント・フィルム・フェスティバルに参加していたために上映会は延期となって、代わりに、昨年12月26日に拉致被害者救済のためのデモがホワイトハウスの周りで6名で行われたんです。小さくてもこれが話題になったので、「ワシントンDCらち連絡会」ではさっそく次のを計画したんですね。次は4月22日と日を決めて、今度は音楽コンサートをメインに持ってきて、そのサイドでスピーチとデモ行進をするっていうことをです。そこで私に連絡してきて、1時間演奏してくれないかというので、「分かりました、喜んでやらせていただきます」っていうことで話を進めてきたんです。目標は今度は100名以上集めるっていうことだったんですが、このボランティアにどんどん人が集まって、韓国の団体も入ってきて、ものすごく大きな集会になってきたんですね。それでメディアも注目してきて、日本から家族会の増元さんも参加することになって、さらに注目されるようになったんです。 日本人が、アメリカで、日本語のオリジナル曲を歌う■ところが、ホワイトハウスの真横に、ラファイエット公園って言うのがあってそこでコンサートするんですが、運悪くその日だけ電源が使えないっていうことになってしまったんです。はじめは、アカペラで歌うしか仕方ないね、っていっていたんですが、それじゃ惨めだからって、発電機を用意するって言うことになって、そのボランティア団体はお金がないから、特例として募金活動しようということになったんです。それじゃ、私も何かできることしなくちゃと思い、この「拉致被害者救済コンサート」のPRとCDの売り上げの50%を寄付するということで募金のため、急遽帰国して、コンサートを開くことにしたんです。初めは、浜松と磐田だけの予定だったんですが、東京・成城でも「日本人拉致を救う会(NRSP)」が支援ライブを開くことになり、拉致被害者家族会事務局長の増元照明さんや政府は認定していない特定失踪者のご家族も参加されました。4月22日の集会・コンサートには家族会の増元さんも参加することになり、日本の拉致関係のメディアも加わって、当初思っていた以上に大きなうねりになって、想像できないくらい大きなものになってきているんです。自分でも、自分のスタッフも驚いているです。 ※2006年4月10日、茶寮「Zappa」(磐田市)にて、お話を聞きました。(インタビュー:murata) |